コーヒー好きを公言していると、コーヒーを淹れてとよくお願いされる。自分の淹れたコーヒーを飲みたいと言ってくれること程喜ばしいことは無く、僕にとってのコーヒーは、人と繋がることで初めて自己満足の域を越え、本質的な価値を持つと思っている。
だけれども、どうしても僕の淹れるコーヒーと、多くの人が持つコーヒーのイメージとのギャップに悩まされてしまう時がある。眠気覚ましの深煎りコーヒーしか飲んだことがない人にとって、僕の淹れる浅煎りのコーヒーは「酸っぱい」の一言でしか表現してもらえない。
正直、酸っぱいと言われると多少なりとも憤りを感じる。それは、他人に対してというよりもむしろ自分に対しての憤りで、悔しさと言った方が正しい表現かもしれない。
自分の腕が未熟なせいで、コーヒーの魅力を正しく伝えきれない。
もちろん、その悔しさが自分のモチベーションになり、いつか皆が口をそろえて美味しいと言うコーヒーを淹れられるようになってやる、と反骨精神を駆り立てられるというのもまた事実である。
深煎りのコーヒーを否定するつもりは全くないし、僕自身深煎りのコーヒーも大好きなのだが、もっともっと多くの人にコーヒーの魅力をより深く理解してもらえるよう精進していく必要がある。
自己満で終わらせたくない。
美味しいと言ってもらいたい。
皆を幸せにしたい。
明日からも頑張ろう。